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1975年にスタートした伝説のTVショー「サタデー・ナイト・ライブ」は、NBCのウィークエンド深夜番組のディレクター、27歳のディック・エバーソル、30歳のローン・マイケルズ、この2人のアイデアによって
企画された。 脚本はナショナル・ランプ―ンで知られたマイケル・オドナヒュー。 出演者は同じく
ナショナル・ランプ―ンに出ていたアンダーグラウンド・コメディアン、26歳のジョン・ベル―シと22歳のダン・アイクロイド、その他、ギルダ・ラドナー、チェヴィ・チェイス、ラレイン・ニューマン、ジェイン・カーティン、ギャレット・モリスらを起用。
「ゴールデンアワーにゃまだ早いプレイヤーズ」
と名付けられ、年間二万五千ドルのギャラで雇われたこのチームが作り出す数々のコントによって
「サタデー・ナイト・ライブ」 はアメリカの国民番組へと
成長していく。 初期を支えたジョン・ベル―シ、ダン・アイクロイドはもとより、エディマーフィー、
マイク・マイヤーズなど現在も映画やTVで活躍するビッグ・ネームのスターを何人も輩出した。
多彩なゲスト出演も魅力で、ローリング・ストーンズも出演したこともある。
そして、最も重要なのはブルース・ブラザーズが生まれた番組ということだ。
1970年代のど真ん中、ニューヨークのロック・フェラー・センターにあるNBCのスタジオは、悪ふざけがメシより好きなジョーカーたちと、マリファナの煙、不安と情熱、そして使命感にあふれていた。 |
1975年

JOHN BELUSHI

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第一回放送日の前日、金曜の夜に行われたリハーサルは、どう考えても最低のシロモノだった。
リハーサルは放映予定時間を超え、なにより笑えなかった。 おたがいの声も聞き取りにくく、もし聞こえたとしてもシラけるばかり。 追い討ちをかけるように、照明のディレクターは失踪。 担当者がスタジオの客席数を勘違い。 ドレス・リハーサルもメチャクチャ。 本番までの短い時間で、ショウ全体を組み立て
直さなければならなかった。
ディレクターのマイケルズは、「今夜が俺たちの人生のなかで、最も恥ずべき夜になるかもな」
と言って笑った。 11時になってもセンターステージのセットは未完成。 美術担当のレオ・ヨシムラはせかされるたびにこう答えた。 「わかりませんよ。 もし終わらなかったら、俺をクビにすればいいんだ」
そして最初のコントが始まった。
東ヨーロッパからの移民の役をベル―シ。 その移民に英語を教える先生役をオドナヒュー
オ : 始めましょう。 わたしのとおり繰り返してくださいね。
べ : ( 真剣な表情でうなずく )
オ : わたしはぜひ・・・・・
べ : ( 訛りたっぷりで ) わだずわづぇひ・・・・
( そうやって会話を続けていると、オドナヒュ―が突然苦痛に顔を歪め、胸を押さえると椅子から
崩れおちる。 心臓発作だ。 ベル―シは困った顔でそれを眺めると、同じように顔を歪め、
胸を押さえて自分から床に倒れこむ
)
このコントは 「つかみ 」 としては最高だった。 すかさずカメラは、舞台監督に扮してヘッドフォンをかぶっているチェヴィ・チェイスにパン。 チェヴィが叫んだ。
「ライブ・フロム・ニューヨーク ! イッツ・サタデェェェェイ・ナイト
! 」
アメリカの反対側、コロラドでは第一回目を見終わった、まだ無名のスティーブ・マーティンが叫んでいた
「クッソオ ! こういうショウをみんな待ってたんだぜ
! 」
2回目の放送では、サイモンとガーファンクルが再結成。 3回目はホストに超人気番組
「オール・イン・ザ・ファミリー」のロブ・レイナーを迎えた。 当時のメンバーたちは、まだそれほど画面に映っていたわけではなかった。 「蜂」のぬいぐるみを着たベル―シが、レイナーに向かっていうセリフのなかに、当時の彼らの気持ちがよくあらわれている。
「こんなカッコウ、自分からすすんでやってるわけじゃないんスよ。あんなにいい脚本家をそろえてて、
こんなことしか思いつかないんだもんね。 好きでやってると思います?
とんでもないスよ、レイナーさん。 でもどうしようもないんだから
」
そして、サタデー・ナイトが新たななる高みに昇るのは、その3週間後、ホストにリチャード・プライヤーを迎えたときだった。彼はジョークが人種差別的だと思うと、警戒心をあらわにした。オドナヒュ―がホテルにプライヤーをたずね、「今週のニュース解説
」 のコーナーのコントを説明したとき、こんなことが起きた。
ジョークの内容は、
「人間は肌の色によって差別されるべきではない。 差別するんだったら、鼻の穴のサイズで差別しろ
」 というものだった。 このジョークを聞くと、プライヤーはコニャックのボトルをむんずとつかみ、オドナヒュ―に向かって、頭蓋骨を叩き割ってやろうかとスゴんだ。 それも笑顔を浮かべながら。 おかげでその週、オドナヒュ―はいっさいショウにかかわろうとはしなかった。
プライヤーを恐れていたのはオドナヒュ―だけではなかった。 プライヤーは卑猥なジョークで悪名を馳せた男だ。 NBCは、もし彼が放送禁止用語を生番組で口にしたらと戦々恐々だった。
マイケルズとNBC幹部の協議の結果、収録と放送を5秒だけずらすことが決定された。
そうすれば、放送までのあいだの5秒間にピーッという音を入れて放送禁止用語を消せるからだ。
もちろん、このことがバレたらプライヤーは激怒する。 彼らはみんなに内緒で、スタジオの時計をすべて5秒だけ進めておいた。
ショーは最高の出来だった。 アシッドをやって
「エクソシスト」 を見に行く白人の若者をバカにしたプライヤーのオープニングは大受けに受けたし、ベル―シのサムライ・ウォリア―が登場したのも、この週だった。 プライヤーとベル―シがサムライ・ホテルボーイになり、客の荷物をどちらが運ぶかで喧嘩したあげく、レセプションのデスクをまっぷたつに叩き斬った。
プライヤーはASS(ケツ) という言葉を二度口にしたが、NBCはそれを黙認。
サタデー・ナイトの長い歴史の中でも、生放送でなかったのはこの週だけだ。
文・ダグ・ヒル、ジェフ・ウェイングラッド
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