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音楽夜話vo.7 ( 2000年10月15日付け)

   ・BIG PINKと地下室

   今回は、ボブ・ディランとザ・バンドの話を


BIG PINK










ボブディラン&ザ・バンド











THE BASEMENT TAPES






    1967年 夏

マンハッタンからニューヨーク・ステイト・スルーウェイを車で北上することおよそ2時間、キャッツキルの山並を西に望む小さな美しい田舎町がある。 北米ではごくありふれた地名だが、ニューヨーク州アルスター郡ウッドストックといえば、おそらく多くの音楽ファンにとって、特別な響きを持っていることだろう。この街は人口4千人ほどの小さな街で、通常は、ベアズウィル、ウェスト・ソーガティーズといった隣町もふくめたエリアも含めてこう呼ばれている。(1969年の有名なウッド・ストック・フェスティヴァルが開催されたのは、実際はべセルのヤスガー農場という所で、ウッド・ストックから約80キロ離れた場所だった)

ビートルズが゛ビルボードHOT100で1位から5位まで独占(1964年4月)するなど、イギリスのロックの波が益々勢いを増していた60年代半ば前後、アメリカの一方ではフォーク・ミュージックが最盛期を迎えていた。 
世界平和や公民権運動など学生運動が盛んだった時代で、ボブ・ディランの 「風に吹かれて」 のようなプロテストソングが学生や若者に支持されていた。 彼らの大部分にとってそんなロックやR&Bは商業的な産業物で評価に値しないものだった。 
しかし、イギリスのミュージシャンの多くが取り上げた素材は元々はアメリカのロックンロールR&Bなどであり、それらをカヴァーしたり、発想の元として自作された曲だったのである。
常に創造的なボブ・ディランは、自身も歌ったことのあるトラディショナル曲 「朝日のあたる家」 がアニマルズによってロック風にカヴァーされているのを聞き、大いに触発された。 
ビートルズに関しても、
「彼らは他の誰にもできないことをやっていた。 彼らのサウンドは素晴らしかった。 他のミュージシャンと一緒に、つまりグループで演奏しなければ出せないサウンドだった。 彼らを聞いて、ぼくは他のミュージシャンと一緒に演奏することを考えるようになった」 
とも当時語っている。

1965年にはボブ・ディランはロックに急接近し始めた。 
アルバム 「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」 ではバンドによるスピーディーなグル−ヴを大幅に取り入れてみせ、6月には名曲 「ライク・ア・ローリング・ストーン」 をレコーディング。 そして7月25日には
ポール・バタフィールド・ブルース・バンドをバックに従えて、かの有名な゛ニューポート・フォーク・フェスティヴァル゛ に出演した。 ここで彼はバンドを従えて出演したことで、保守的なフォーク信奉者の学生や若者から多くの罵声や野次を浴びせられることになる。
しかし彼には解かっていた。 
フォーク・シーンがもはやアコースティック・サウンドやトラディッショナル曲にこだわる必要がないこと、エレクトリック・サウンドはヴァイタリティあふれる表現を可能にすること、パースナルで自由な感情を持ったソングライティングこそ価値ある新しい表現であること、さらにロックンロールやR&B、カントリー音楽など、それまで商業的とそれ、排除されてきて音楽も、間違いなくアメリカ音楽の重要な核心であることを。 
その後ディランは この路線で進むべく ゛ザ・ホークス゛ というバンドをバックにツアーを行っていく。

1966年7月29日ディランはバイク事故で重症を負い、それから約2年の間表舞台から姿を消している。 
しかし、ディランは、のちに ゛隠遁生活゛ と呼ばれることになるその間、ツアーでバックをつとめた゛ザ・ホークス゛ のメンバーとともにロック史に残る作業を行っていた。 
それがいわゆる ゛地下室゛(THE BASEMENT TAPE`S) テープである

1967年、彼らはウッド・ストックの北東、ウェスト・ソーガティーズの ゛ビッグ・ピンク゛ に集まった。
この家を借りて、6月から10月まで、世間がサイケデリックな熱に浮かされたサマー・オヴ・ラヴの間じゅう、彼らは家庭用のテープレコーダーに差し込まれた3本のマイクに膨大な数の (100曲とも150曲ともいわれる) 曲を録音した。 
ロックン・ロール、R&B、カントリーなどアメリカ南部的な音を軸にとらえたもので、このテープは早くからミュージシャン達の間でブートレグとしてひろまり、そのアメリカン・ルーツの根源を見つめる姿勢がその後の音楽シーンの流れに多大な影響を及ぼすことになる。
そして、1968年にはこの時のメンバー ゛ザ・ホークス゛ が ゛ザ・バンド゛ と改名し、同じビッグ・ピンクの家でレコーディングした 「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」 を発表する。 このアルバムはロック界に衝撃を与え、彼らはその名を歴史に残すことになる。

その後 「地下室」 テープは1975年に2枚組みアルバム(全24曲)として発売されている。

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