|
|
| Profile |
 |
written A.D 2001 WILLIE NELSON もっと詳しく調べる → Wikipedia
|
 |
 |
カントリー・ミュージック界の重鎮。1933年4月30日、テキサス州フォートワース生まれ。両親の離婚などが原因で祖父母に育てられたが、この祖父からゴスペルやギターなど音楽を学ぶ。7歳ですでに曲を書き始め、ピアノを覚えた妹ボビーらと共にバンド活動するなどしている。兵役後の54年に地元ラジオ局のDJの職を得、同時にクラブでも歌い始め、56年にはワシントンのヴァンクーバーへ移り「No
Place For Me」という曲で初録音。その後もDJを続けながら歌い、曲を書く日々を送っていたが、59年に書き、わずか50ドルで他人に譲った曲「Family
Bible」がヒットを記録したことから、61年にカントリー・ミュージックの聖地ナッシュビルに移り本格的に活動を開始する。彼の鼻にかかった声、ジャジィな歌い方を認めてくれるレコード会社はあまりなかったが、そのソングライティングは評価され、Pamper
Musicと契約。この頃にファロン・ヤングの「Hello
Walls」やパーツィー・クラインの「Crazy」といった№1ヒット曲を書き、レイ・プライスには名曲「Night
Life」を提供して、彼のバック・バンドにも参加した。62年Liberty
Recordsとソロ契約しデビュー。「Willingly」「Touch
Me」といったシングル・ヒットで成功していくかに思われたが、すぐに低迷。RCA、アトランティック、CBSなど大手メジャーにコンスタントに録音を残したものの目立ったヒットもなく、私生活での破産、離婚、家の全焼など、不遇な60年代となった。
しかし、72年、テキサスに戻った彼は、レオン・ラッセルやクリス・クリストファーソンらと、ナッシュビルの旧来のカントリー・サウンドに留まらない゛プログレッシブ・カントリー゛を標榜したサウンドを創造し始め、これがロック上がりの若いリスナーにも受け入れられ人気となり、75年のアルバム「Red
Headed Stranger」からはシングル「Blue Eyes
Crying in the Rain」が大ヒットを記録。グラミー賞の最優秀カントリー男性歌手賞を受賞し、カントリー・ミュージックの代的スターとして認知されるようになった。以後、78年頃からは俳優としても活動しながら、スウィング、ポップ、ジャズ、カントリー、ホンキー・トンク、ロックン・ロール、フォーク・ミュージック、ブルースなどなど、幅広いジャンルの音楽を取り入れたサウンドで数多くの作品を発表し活躍を続けている。 |
|