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1918年12月19日、ルイジアナ州ボガルサ生まれ。両親はともにミュージシャンで、祖父はアラバマ州の農家で奴隷として働いていたらしい。幼少期にニューオーリンズへと移り、15歳の頃ピアノを見よう見まねで体得。ナイトクラブで働きながら、ジャンプ・ブルース、ブギウギ、ジャズ、カリプソ、ルンバ、サンバなど、ニューオーリンズという特異な地域ならではの雑多なリズムを吸収していく。彼の左手のベース・ラインは強烈なシンコペーションが効いており、激しいアクセントは、後のファンクの源流になったといわれている。49年に初録音。「ビッグ・チーフ」「ティピティーナ」「マルディグラ・イン・ニューオリンズ」などのヒットを放ちながらニューオリンズR&Bのカリスマ的存在として活躍した。
その後、体調的な問題から一時音楽活動から離れ、伝説的な存在となっていたが、71年に再発見され第二回「ニューオーリンズ・ジャズ・フェスティバル」に出演。再び音楽活動を再開し、いくつかの素晴らしい作品を残した。80年黒人街の借家で心臓発作のため死去。ピアノでの働き口がなくなるとギャンブルで生活していたという渡世人でもあった彼だが、ニューオーリンズ独特のサウンドを、多くのミュージシャンたちに伝える伝道師の役目を果たし、アーニー・K・ドゥ、アラン・トゥーサン、ファッツ・ドミノ、ヒューイ・ピアノ・スミス、ドクター・ジョン、ネビル・ブラザースなどなど、後に続く多くのアーティストに多大な影響を与え、尊敬を受け続けている。 |