 |
1943年7月28日、イリノイ州シカゴ生まれ、ホワイト・ブルース・ギターの第一人者。14歳の頃からシカゴの黒人ブルース・クラブに出入りし始め、チャーリー・マッスルホワイト、ニック・グラヴェナイツら同様の音楽性を持つ友人達と出会い、後に自身もクラブで演奏し始め名が知られるようになっていく。CBSのプロデューサー、ジョン・ハモンドに認められ契約を結んだこともあったが、会社側の躊躇もありシカゴのクラブで演奏を続けていた。
65年、地元で結成された゛ポール・バタフィールド・ブルース・バンド゛に加入。ホワイト・ブルース・バンドの先駆けとなった「The
Paul Butterfield Blues Band」、「East West」の名盤2作に参加。又同時期フォーク・ロックへの変化期であったボブ・ディランのバックを支え、名盤「Highway
61 Revisited」にも参加している。67年゛エレクトリック・フラッグ゛を結成しモンタレー・ポップ・フェスティヴァルに参加、翌年アルバム「A
Long Train Comin' 」を発表。脱退後の同年12月には、アル・クーパーとの名盤「Super
Session」を行うなど精力的に活動した。
その後は西海岸でマイペースな活動をおこない、ソロやグループ名義など数多くの作品を残したが、81年2月15日、サンフランシスコでドラッグの過剰摂取の為車中で亡くなった。享年37歳という若さだった。 |