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1939年4月2日、ワシントンD.C生まれ。幼少の頃から教会で歌い、教会の説教師であった厳しい父親からの抑圧がより彼を音楽の道へと導いていく。ハイスクール卒業後徴兵、退役後ワシントンで歌い始め゛ザ・レインボーズ゛というグループに参加、58年にはハーヴェイ・フーガのバック・アンサンブルを務めた゛ムーン・グロース゛に参加し活動する。そこで彼に注目したモータウンと契約し、61年にデビューした。初期の作品では成功を得られなかったが、4作目のシングルがスマッシュ・ヒット。その後は徐々にソウル色を出しながら、また60年代後半は女性シンガーとのデュオという形で次々とヒットを飛ばしていく。だが、より良い作品を求める彼は会社から常にチャートを意識した作品を要求されることに苦悩。そしてコンビとして一緒にヒット曲を連発したタミー・テレルが脳腫瘍で倒れ('70年に他界)たことで、極度の対人恐怖症に陥り、およそ一年間音楽活動から離れることになった。
そして70年彼自身のプロデュースによりストリートの惨状をポジティヴなメッセージに変換した問題作「ホワッツ・ゴーイン・オン」を製作。ブラック・ミュージックの新しいスタイルを示したこの名作は当然モータウンの理解を得られなかったが、71年に発売され大ヒットを記録。その後も「レッツ・ゲット・イット・オン」、「アイ・ウォント・ユー」など傑作を発表。70年代は歌手だけでなく、コンポーザー、サウンド・メーカーとしても大活躍した。モータウンを離れた後の83年には「セクシャル・ヒーリング」を大ヒットさせたが、84年4月1日、以前から確執の絶えなかった父親によって射殺されるという悲劇的な最後を遂げた。ブラック・ミュージックばかりでなく音楽史に残る偉大なアーティストであり、人一倍神経過敏で個人的な部分を音楽で表現した黒人アーティストとしては稀な存在だった。 |